盆栽の歴史
更新日:2019/09/18
春宵梅ノ宴 三代歌川豊国 初刷弘化4-嘉永5年(1847-52)
私たちが知っている盆栽は、古くは古代中国の貴族階級の嗜みが走りであることは衆知のことかもしれません。
始めは鉢植えのような感覚で楽しまれていた盆栽も、日本らしい美的感覚と培養・整枝技術の向上により独自の発展を遂げ、今や世界に絶対的な評価を受けるまでになりました。
C o n t e n t s
1. 盆栽の起源と発展
盆栽の起源はよくわかっていません。
絵画や書物、工芸品や建造物など一度完成されたものは保存ができて今でも観賞することができるし、その起源をひも解くこともできるかもしれませんが、盆栽は同じ形をとどめることができません。
それどころか、生きた芸術品であるがゆえに管理が悪ければ観賞価値が下がってしまったり、何かの事故で折れてしまったり枯れたりして永遠に失われてしまうこともあります。
盆栽の起源は中国が発祥と考えられていて、約2500年前には樹や石、苔、砂などをお盆の上に配置して自然の景色を作る「盆景」という立体造形芸術が生まれました。
約1300年前の唐の時代の皇族李賢のお墓の壁画には、女官が器の上に色鮮やかな花の付いた植物を載せ捧げ持って歩いている姿が描かれています。
宮廷や高官の間で愛されていた盆景は、後に日本にも伝わり「盆山」、「鉢木」、「盆花」、「作りの松」などと呼ばれて貴族や武士階級の趣味として広がっていきます。
2. 日本の盆栽のはじまりと発展
日本の盆栽の起源
日本では、その存在は平安時代の末期までさかのぼります。
鎌倉時代前半に描かれた「西行物語絵巻」には大きな石付き盆栽らしきものが描かれていますし、「春日権現記」には貴族の邸宅の様子が描かれ、庭には樹形、容器ともに極めて進んだ様式の盆栽が置かれているのがわかります。
日本に現存する最古の盆栽は、徳川三代将軍家光の時代の五葉松の盆栽。
家光は盆栽を大変大事にして愛培していたことはよく知られていて、吹上御苑にたくさんの盆栽を飾って楽しんでいたといわれてます。
家光の時代にはすでに相当な大木であったことが知られていて、4~5人で持ち運ぶのでもやっとという大盆栽。
樹齢は約600年くらいと思われますが、今でも毎年新芽を吹いています。
これらの大盆栽は、300年以上経った今でも皇居(大道庭園)と都立園芸高等学校内で管理されていて、大道庭園では約900種600点もの歴史ある名品たちが培養されています。
当時の書物には「盆栽」と書いて「ハチウエ」とルビが打たれていたことから、単に植物を鉢に植え替える現在の鉢植えが進化して、日本独自の盆栽の発展に繋がったと考えられます。
江戸時代以前
江戸時代以前の盆栽の資料はとても少なくその起源を知ることは難しいことです。
でもその発展の元をたどってみると、庭園の発達にあるということが分かります。
高床式住居の時代から植物を敷地内に植える習慣があった
古代日本の住居には、二つの形式があったといわれます。
一つ目は地面を掘った穴に柱を立てて、草藁などで周りと覆う竪穴式住居と、現在も東南アジアに見られるような、地面から高いところに床を張った高床式住居です。
居住を持つようになった日本人は、今度は外敵の侵入を防ぐために居住敷地内の周りに柵を巡らせました。
この柵内に植物を植えるようになったことが、庭園の基礎になったといわれています。
盆景の概念と神殿作り
日本独特の居住文化が花開いたのは平安時代に入ってからで、貴族の住宅様式として神殿造が誕生。
南向きの寝殿を中心に左右対称に建物を配置し、建物との間は長い廊下でつなぎ、外には広々とした回遊式庭園や寝殿造庭園が作られました。
写真:皇居東御苑の回遊式庭園、二の丸庭園
この庭園は国々の名所を縮景したもので構成されていて、池にはいくつかの中島が設けられ、橋が架けられました。
庭園内の川は、せせらぎが聞こえるように工夫が凝らしてあり、白く泡立つ水面の様子や水の音にも気を配られていたそうです。
日本の自然そのものを凝縮したような庭園で、都の人間は納涼や月見、雪見など季節の行事を行って美しい自然を楽しんでいました。
この庭園の発達には、江戸時代に中国から伝わったとされる盆景が大きく影響していて、日本の最初の盆景は、石と砂を使って盆の上に砂浜を再現したものであったと古記に記されています。
江戸時代
戦国時代の終焉後、江戸時代に入ると世の中がようやく平穏になってきます。
このころになると、貴族階級だけでなく武家階級や一般民の間でも様々な芸術が盛んになり、園芸技術も発達していきました。
江戸時代の浮世絵版画
当初、観賞用の鉢は中国から輸入された香炉など、違う用途のものを代用されていたそうですが、園芸の人気に伴って茶器や瓦などの焼き物製造地でも質のいい鉢が造られるようになりました。
初期の時代は、大型の盆栽が主流だったようですが、参勤交代の無聊を慰めるために小鉢仕立てのものが作られるようになり、今の小品盆栽の始まりといえます。
また、樹形に関しても水墨画の影響を受けた文人作りや、篠竹に沿わせた篠作り、蛸作りなどがすでに確立していたことが分かっています。
明治以降
自然盆栽と針金整枝法
明治になると、「盆栽」という名前が一般にも浸透し、これまで見た目の珍しさを競っていた盆栽の概念が、自然盆栽といわれる自然の景観を重視した樹形作りへと移っていきました。
無理に自然に反した樹形作りをしていては、植物の生命力を奪い観賞価値を維持することも困難でした。
また、このころには針金整枝法が開発され、それまで困難だった樹形作りが自由にできるようになりました。
この自然盆栽の概念と、針金整枝法の技術の発展は、現在の盆栽の基盤となっています。
貴族の嗜みとしての盆栽
明治維新以降、政府の要人の間でも盆栽を愛好する人物が大勢いました。
伊藤博文や大熊重信らは自身の邸内に栽培場を設けて、来訪者や会合の場に盆栽を飾っていたといわれています。
また、旧高松藩12代当主、松平頼寿伯爵(明治7年~昭和19年)は熱烈な盆栽愛好家で、小品盆栽というジャンルを確立したとされる先駆者として知られています。
松平家の愛した樹や銘鉢には溜息がでるほどで、古伊万里や九谷、竹本隼太の鉢を特に愛していました。
この風潮は他の政治家や皇族、財界にも広がり、それらの盆栽を管理する専門家も出てくるようになりました。
大衆へと広がる盆栽熱
明治時代女性が盆栽(ハチウエ)を買い求めている
写真:らばQ
盆栽熱が高まるにつれて、盆栽関係の図書も発行されるようになり、世間に盆栽が紹介されるようになりました。
盆栽家たちも活発な活動を見せ、一般市民や女性の間でも刺繍や着物、書道に並んだ重要な嗜みとして広がっていきます。
第2次世界大戦後、諸外国との交流が進むにつれて、盆栽は日本独自の芸術文化として世界に知られるようになっていきます。
3. 盆栽の今
最近では盆栽愛好家の数も増え、日本国内だけでなく海外の盆栽愛好家の活動も目立ちます。
日本文化の象徴とも言える生きた芸術品は海外でも受け入れられ、様々な団体やコミュニティが存在。
楽しみ方もそれぞれで、整枝技術を駆使してしっかり作り込む盆栽から自然派盆栽、鉢愛好、土1粒さえも入らないような極小化など方向性は様々。
新しい魅せ方で楽しむ空中盆栽:Air Bonsai | Create your "little star"
飾りの面でも、磁石や電気の力で空中に盆栽を浮かばせてみたり、アクアリウムと盆栽を組み合わせてみたり、身の回りの物を飾り道具に使ったりと遊び心のあるアイデアがたくさん。
古い決りだけに捕らわれない自由な飾りも見ていて面白く、芸術・デザイン性や広告塔としての盆栽の存在位置を感じさせる面があります。
極小へと向かう盆栽の人気
「盆栽=リタイア後の趣味」というのはひと昔の話で、今では海外や若い人の間でも愛好家が増加し、進化し続けています。
その主な背景にはサイズの縮小化があり、より精密に、極小に向かう嗜好は日本人独特の遊び心なのかもしれません。
大型盆栽は場所が必要ですし何より高価。仕立てるのにも大変な手間や時間がかかりますが、場所を取らずマンションのベランダなどでも育てられる小さい盆栽は初心者でも始めやすいものです。
樹や山野草など、数百円から手に入る素材で楽しむことができ、数年のうちに古さがでるため短期間でモノにできる面白さがあります。
樹高60cm以上の大型盆栽に対して、樹高20cm以下の盆栽は小品盆栽(しょうひんぼんさい)と呼ばれ、既に100年以上の歴史があります。
昭和50年には全国小品盆栽組合の前身となる西日本小品盆栽会、昭和60年には全日本小品盆栽協会(公益社団法人)が作られ、独自のジャンルを築いてきました。
現在も愛好家の間でサイズはさらに小さくなり10cmの比較的樹高のあるクラスから、果ては指に乗るくらいのミニ盆栽の愛好家も増え、極小盆栽や豆盆栽、プチ盆栽などと言われる新しい分野が生まれています。
ミニ盆栽はただ小さければいいという訳ではありません。小さくとも大樹の風格があり、極小の世界に大自然を感じられるような仕立てが求められ、そこに遊び心や審美眼がなければ銘品とはなりません。
そこに難しさと面白さがあり、愛好家の間でミニ盆栽の管理や仕立てが日々試行錯誤されています。
コメント
- 伊藤 さん 2016年02月03日14時38分
- 鎌倉時代の焼物ですが植木鉢に松が立つている図柄が書いてあるものが見つかりました
- きみ さん 2016年02月03日16時23分
- 伊藤さん
コメントありがとうございます。どんな絵柄なのかとても興味があります。 - 伊藤俊晴 さん 2016年02月05日09時26分
- この焼き物わ美濃地方で焼かれている山茶碗ですが私が自分自身で山に行へ行き探したものですから私が知つているだけで誰も見たことがありませんこの品物の寸法は12センチで片口茶碗です陶片ですが見込みにその絵があり線刻で掘られています幼な絵ですが面白いです
- きみ さん 2016年02月05日10時27分
- 伊藤さん
どのような人が作ったんでしょうね
鎌倉時代に鉢植えの図柄を描くということは格式があったんでしょうか
面白いです